僕はなぜ「人とうまくやれない人間」だったのか?

マインド・メンタル

こんにちは、ABC(あべちゃん)です。

事業に失敗して2000万円の借金を背負うもなんやかんやで完済し、今は家族と平穏な日々を楽しむ元公務員です。

ここでは、そのなんやかんやについて触れたり触れなかったりします。

これを読みに来てるってことは、

協調性と言う名の同調圧力に殺されそうになってる深海魚(主としてチョウチンアンコウ)

なのだと思うのですが。

実は僕、昔から「人とうまくやれない」タイプでした。

空気が読めない距離感がわからない無意識に相手を傷つける逆に自分が傷つくのが怖くて壁を作る職場でも友達付き合いでも、

「なんか人間関係ってしんどいな…」

と感じていました。ヒトリサイコー。

今回は、そんな僕が「なぜ人とうまくやれなかったのか?」を深掘りしてみようと思います。

ちなみに今も人付き合いは上手じゃないです。

(しれっと勝手に電車で帰ったりします。後日めちゃくちゃ怒られます。ええやん。)

〜それでも大丈夫になった理由も添えて〜

子どもの頃から“馴染めない感覚”があった

幼稚園の頃から、輪に入るのが苦手でした。

グループの会話についていけない無理に合わせると自分を嫌いになる一人でいた方が楽でも、孤立するのはやっぱり寂しい。

人が嫌いじゃないのに、うまく交われない。この「ねじれた感覚」が、ずっと心にありました。

ねじれ国会。

公務員時代:無理して“いい人”を演じた結果…

社会に出てからは、「協調性が大事」ってずっと教わりました。

だから僕は、“ちゃんとした人”になろうと必死でした。

実際ちゃんとした人を演じられてたと思います。退職時に「まさかお前が」っていうフレーズをたくさんいただけたのは、そういうことなのかな、と。

上司に合わせて笑う飲み会では盛り上げ役を演じる思ったことは飲み込むうまくやれてるようで、心はどんどんすり減ってました。MONO消しゴムやあるまいし。

僕が人とうまくやれなかった“根本の理由”

正直に言います。僕は、「嫌われるのが怖すぎた」んです。

嫌われたら終わりやと思ってましたからね。

嫌われたくないから、合わせる。でも合わせすぎて、疲れる。

結果、勝手に心が閉じて、距離ができる。人と関わることに“臆病”になってたんです。

気づいたこと:うまくやる必要なんてなかった

いろんな失敗をして、ようやく気づいたんです。全員に好かれる必要はない無理に“社交的な自分”を演じなくていい苦手でも、正直にそれを伝えればいいそしたら、不思議なことに人間関係がラクになってきたんです。

相手に合わせて生きててもロクなことがないしね。

人生の主役はワイや。

今の僕の人付き合いのスタンス

無理して会わない

無理して話さない

でも、本音で向き合いたい人とはちゃんと向き合う“うまくやろう”としない方が、本当の関係は築けると気づきました。

今の方が、孤独じゃない。自分を偽らずに人と関われるって、こんなに楽なんだって。

もしそれで「性格悪い」とか言われてもそれ性格が悪いんじゃなくて、相手にとって都合が悪いだけな確率が98%です。(当社比)

だから気にせんでええ。

ほな!

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